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少年時代は、アメリカン・ポップスのファンで、著書『1963年のルイジアナ・ママ』の中で「甘ったるいアメリカン・ポップスを滅亡に追いやったビートルズは、同時代のヒーローではなく、不倶戴天の敵」と書いている。(なお、同世代の鏡明、橋本治も似た発言をしている。) SFファンでもあり、高校時代から、横田順彌、鏡明、川又千秋らがメンバーだった、有名なSFファンの集まり「一の日会」に出入りしていた。また、浪人時代に、同じ予備校の先輩の山口文憲と知り合う。 大学時代は学生運動にかかわるが、学生運動終焉後、全共闘の残党が各雑誌の編集部に集まった「三流エロ劇画ブーム」の際に、1977年創刊の雑誌「劇画アリス」の編集長を務め、その沢田研二に似た容姿から「三流エロ劇画界のジュリー」と呼ばれた。また、メジャーな少年誌出身の吾妻ひでおの作品「不条理日記」を掲載、話題を集めた。 1980年に「劇画アリス」廃刊後、フリーのコラムニストに。『本の雑誌』、『噂の真相』などでコラムを発表。その辛らつぶりで、評判となる。 当時は「昭和軽薄体」ブームの渦中であったが、その中で南伸坊の文章を、「素人ぶっていて、カマトト的だ」と批判した。また、当時、「初期のいかがわしさ」を失っていたタモリを、「竹村健一、さだまさしといった、誰がみても携帯 アフィリエイト である連中を、笑いのターゲットにしても、予定調和にすぎず面白くない」と痛烈に批判した。 また、雑誌『漫画アクション』の名物匿名コラム「アクション・ジャーナル」を、阿奈井文彦、呉智英、関川夏央、堀井憲一郎、村上知彦、山口文憲等と執筆。 SFの世界では、「SFマガジン」誌のレビュー欄の担当を皮切りに、1980年「SF宝石」誌に『モバイル アフィリエイト 』を発表し、SF作家としてデビュー。1982年に、初のSF短篇集『まだ地上的な天使』を刊行した。 1984年、テレビ朝日の「ミッドナイト六本木」で司会をつとめ、以降、TVの仕事も増えてくる。 1992年10月から1996年5月までは東京放送「スーパーワイド」、1998年10月から2000年9月まではテレビ朝日「スーパーモーニング」と、ワイドショーの司会を務めた。 現在は雑誌連載、コメンテーター、セミナー 評論家と多方面で活躍中である。また、プロレス好きでも知られる。 また、読書家であり、本の目利きとして本好きの間に知られている。 朝日新聞書評欄に「マガジンウオッチ」として連載していたものをまとめた『この雑誌を盗め!』は、連載時から、常に旬の雑誌企画をヴィヴィッドに取り上げて評判であり、待望の単行本化であった。続いて翌年『人ったらし』を、翌々年『どうして僕はきょうも競馬場に』を刊行。10数年ぶりに、亀和田の本が3冊、続けて出て、ファンを喜ばせた。 近年は坪内祐三と親密で、対談等をすることが多い。 幼少期に怪奇映画とハワード・フィリップス・ラヴクラフトの幻想小説に親しむ。ラヴクラフトの作品に登場する「クトゥルー神話」を題材にした作品が多いのはこのため。 青山学院大学法学部卒業。青山学院時代には推理小説研究会の会長を務め、同期には作家の竹河聖がいる。フリーライターを経て、1982年、『魔界都市〈新宿〉』(朝日ソノラマ)でデビュー。 1985年『魔界行』(祥伝社)を発表、ベストセラーとなり夢枕獏とともに伝奇小説の旗手となった。他に『魔界都市』や『吸血鬼ハンターD』など多数のシリーズを持ち、現在に至るまで(文庫化も含めると)ほぼ毎月数冊のペースで作品の執筆・刊行を行っている。 古今東西のデータ復旧 映画に造詣が深く、小説のほかにホラー映画解説の著書も複数ある。ジャズミュージシャンの菊地成孔は実弟。 作品 多くの菊地作品で取り入れられているのはエロスとバイオレンスである。ジュブナイルでもその作風は変えておらず(アダルト向け作品と比べればそれほどではないが)、初期から注目を集めていた。 趣味人の多い作家業界の中でも群を抜く武器・銃器マニアとして知られ、ことにそのガンマニアぶりは有名。代表作・エイリアンシリーズでは、主人公の八頭大に、当時知名度が無いに等しかったCz75やG11といったマイナーな銃を愛用させ、一般人では知らないような弾頭を登場させるなど、作品内でもその傾向は強い。 少林寺拳法の経験者(師は伊藤昇)のため、作中の主人公が少林寺拳法を使用する通販 も多い。 北野 勇作(きたの ゆうさく、1962年3月22日 - )は兵庫県高砂市曽根町生まれの日本の小説家、SF作家、落語作家。劇団「虚構船団パラメトリックオーケストラ」所属の役者でもある。現在は大阪府大阪市在住。血液型はB型。 人物 1980年に整体 学校 へ入学、在籍中は落語研究会に所属していた。卒業後は神戸市に移住し、会社勤務の傍らSF短編や創作落語の台本などを執筆する。『SFマガジン』誌や、『SFアドベンチャー』誌の「森下一仁のショートノベル塾」などへの投稿を経たのち、1992年に『昔、火星のあった場所』で第4回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞し、作家デビュー。同年、落語台本「天動説」で第1回桂雀三郎新作落語〈やぐら杯〉最優秀賞受賞。 2001年、『かめくん』で第22回日本SF大賞を受賞。 日泊 亜蘭(きょうどまり あらん、1910年(明治43年)7月28日 - 2008年(平成20年)5月12日)は、日本の小説家、SF作家。本名は水島 行衛(みずしま ゆきえ)。別名義に水島多樓(みずしま たろう)、水島太郎、璃昴(りぼう)、紀尾泊世央(きおどまり ぜお)、今日泊蘭二、宇良島多浪(うらしま たろう)、園兒(えんじ)、志摩滄浪(しま そうろう)など。日本SF界の最長老として知られた。代表作は、日本SFの古典としても知られる『光の塔』。 父親は画家、小説家、漫画家の水島爾保布。母親は読売新聞の記者で、女性記者のはしりといわれる。 東京府下谷区下谷上根岸町(現・東京都台東区根岸)出身。府立五中を中退後、上智大学付属の外国語学校に入るもこれも中退。いわゆる「高等遊民」的な生活を送った後、通訳などの職に就く。 1953年、佐藤春夫の推薦で「文芸日本」に「桜田門」(水島多樓名義)を発表しデビュー。同誌にはその後も何作かを発表したが、そのうち「河太郎帰化」は、1958年(上半期)直木賞候補に推された(ちなみにそのときの受賞作は、山崎豊子「花のれん」と榛葉英治「赤い雪」)。同時期には、辻まことの紹介で「歴程」にも参加している。 1957年には、日本最初のSF同人誌「宇宙塵」に客員として設立より参加。 同時期に、渡辺啓助、矢野徹らとSF同人「おめがクラブ」(この命名は今日泊による)を設立、同人誌『科学小説』を発行。 1962年、戦後初のSF長編小説『光の塔』(『苅得ざる種』改題)を発表。1987年から1990年には、77歳にして「SFマガジン」に長編『我が月は緑』(『光の塔』の30年後を舞台とした続編)を連載する。 他の代表作に『海王星市(ポセイドニア)から来た男』、『アンドロボット'99』など。 また、30ヶ国以上の言葉を操る在野の言語学者としても活躍した。 2008年5月12日、肺ガンのため死去。97歳没。早熟で、府立五中時代には既に英・独・仏の三語の他、独学でラテン語・ロシア語・ギリシャ語まで学んでおり、「ヘレス語」という架空言語の創作までしていた。 父親の交友関係にあった武林無想庵や辻潤、長谷川如是閑から大きな影響を受けたと語っている。 辻まこととは親友であり、山本夏彦を交えた三人で活動することがしばしばあった。辻が第二次世界大戦時に新聞特派員として中国に渡った時は、妻子の世話を今日泊に頼んだほどであった。 少年時代より一貫してアナキストを標榜したが、テロリズムに関してはこれを否定していた。 元は、ルパシカとモノクルを愛用するなど西洋趣味が強かったが、泉鏡花に傾倒して以来、和服を常に着用するような趣味に変わったと辻は語っている。 上智大学時代、ドイツで語学を学びたいと強く考えたがパスポートが下りなかったため、ハルビンから満鉄、シベリア鉄道を経由してドイツまで密航。失敗し、ドイツから強制送還された。 上記の密航失敗後、アテネフランセでラテン語・ギリシャ語を学び、当時同じく受講生だった日影丈吉と親しくなるなどあるも、最終的には校主のジョセフ=コットと衝突して退学。 設立当初の宇宙塵例会においては、今日泊と矢野徹が海外SFについて語るのが名物だったという。野田昌宏はこの様子について、「江戸の講釈師というのはきっとこんな感じだったろうと思わせる今日泊亜蘭の洗練された洒脱な語り口……。江戸の街の大家のご隠居みたいに座敷の床柱を背負って、シケモクふかしながら、和服姿で講釈を展開する」(『愛しのワンダーランド』、早川書房、1994年)という具合だったと語っている。
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